
三月
桜が咲き始めた、3月の初め。
私は今、大きな総合病院にいる。
この時期になると花粉症の患者が多い。
私も毎年、この病院にはお世話になっている。
かれこれもう10年ほどの付き合いだ。
病院内は非常に混んでいる。
診察まで一時間以上も待つはめになってしまった。
病院内なのでケータイを使うのは気が引ける。
どうやって暇をつぶそうか悩む。
外は花粉が飛んでるし、病院内は何もないし。
かといって外に出れば花粉に悩まされる。
そうやって些細なことに悩んでいたら…、隣に男が座って話しかけてきた。
『ねぇねぇ君。今、暇かな?話、聞いてくれないかな?』
私は返事をしなかった。こういう初対面の人に対して馴れ馴れしい奴は嫌いだ。
『あのさ、今悩んでるんだよね…』
男は勝手に語り始めた
私も悩んでるんだ。一人にしてくれ。
『付き合って一年経つ彼女がいるんだよね。その子がまたかわいくってね。』
私は他人の惚気話には興味が持てない。
しばらく自慢の彼女がいかに素晴らしいかを語られた。うんざり。
『それからね、彼女のいいところは…』
『あの、悩みって何なんですか?』
とうとう口を聞いてしまった。失態。
『あぁ、そうだったね。その彼女にね、プロポーズしようと思うんだけど…早過ぎるかなぁ…もっと相手のことを知ってからかな?どうしたらいいかな…?』
『悩んでるんならすぐに行動したほうがいいと思いますよ。後で後悔するかもしれないし。』
そして別れてしまえ、と私は思った。
『そうだね…。何もしないで悩むくらいなら…。うん、ありがとう!決心が付いたよ!』
『そうですか。良かったですね。』
棒読みで言ってあげた。
『本当にありがとう。またね。』
男は笑顔で去っていった。
まだ診察まで30分以上もある。
私はまた悩み始める。
六月
ろくにいい天気が訪れない、6月の半ば。
この数日間、雨が止まない。
湿っぽくて、私の1番嫌いな時季だ。
そんななか、今日は姉の大事な式がある。
『お姉ちゃん綺麗…。』
思わずそうつぶやいてしまうほど、ウェディングドレスを着た姉は今までに見たことのない、綺麗な女性だった。
父も母も姉の隣で泣いている。
姉は少し微笑んでいるだけ。
やがて父と母は部屋を出た。
それと入れ代わるように新郎が入って来た。
新郎の人とは初めて会うので緊張したが…
『やぁ、久しぶりだね。』
以前、病院で話しかけて来た男だった。
『私のこと知ってたんですか?』
『君のことは彼女から聞いていたけど見たことはなかった。でも彼女と似てるから、もしかしたら…って思って話しかけて見たんだ。』
『それだけのことでよく…。』
私は少し呆れてしまった。
『…姉は私のこと、何て言っていました?』
姉を見ながら私は聞いた。姉は相変わらず微笑んでいる。
『無口で、他人の話しはあまり聞かないって。人見知りっていうよりは他人と接するのが嫌いな感じ…って聞いたよ。でもお姉さんとは仲が良かったみたいだね。君の話ばかりされて少しヤキモチをやいたくらいさ。』
それを聞いて私は恥ずかしくなった。
私と姉は仲が良かった。
姉はやっぱり私のこと、わかっていたんだな、と思った。
『そうですか。姉はそう言っていましたか…。』
でも、もう姉とは離れ離れになる。
そう思うと寂しくて涙が出てくる…。
『綺麗だ…。』
男はそうつぶやいた。
目にはうっすら涙が溜まっている。
姉は喋らない。
言葉を発しない。
目は決して開かない。
口元だけが微笑んでいるように見えるだけ。
安らかに、眠っている。
やがて男は泣いた。
初めは肩を震わせて、小さく。
次第に大きな声で泣きはじめた。
私もそれにつられて泣いた。
姉は、亡くなった。
結婚式の前日に、交通事故で。
私が食後のデザートが欲しいって言ったら姉は近くのコンビニで買ってくると言って、家を出たら、もう、戻ってこなかった。
そういう下らない理由で姉は死んだ。
簡単に、唐突に、一瞬で。
『僕があの時、病院にいた理由はね、』
いつの間にか泣き止んでいた男が話し始めた。
いつの日みたいに…勝手に。
『母親が入院していてね、余命1ヶ月もないんだ。3月の時点ではあと3ヶ月持つかどうかって言われた。』
それはきっと私に向かって言っているのではないんだろう。
『君には母親のことを話していなかったね。話したら君は僕から離れてしまうと思った。』
それはきっと、いなくなった人へ伝えているんだろう。
『母親の生きる希望を与えるためにも、僕自身のためにも、君と結婚したかった…。』
この人は自分のことしか考えてなかった。
これはその報いなんだろうか?
誰も教えてはくれない。
『…。』
今になって初めて気付く。
男の目が赤く腫れていたことに。
きっと、ここに来る前から泣いていたんだろう。
やがて男は部屋を出た。
そして、姉の式が始まる。
九月
急に夏の終わりを告げた、9月の半ば。
私の気持ちなんかおかまいなしに学校が始まってもう2週間ほど経った。
夏休みの間はずっと家に引きこもっていた。
友達なんていない。
一人が好きだから。
誰かを失って、一人になったことを悲しむのなら、むしろ初めから一人の方がいい。
だから…、だから姉も…いなかったら良かったのに…。
もちろん、こんなことは本心ではない。
でもそうやって何かを恨んでもいないと生きて行けない。
私はそういう人間だから。
いつも通りの朝、いつも通りの時間、いつも通り学校の門をくぐり、いつも通り下駄箱を開ける。
当たり前のように入っている数枚の手紙、当たり前のようにそれをごみ箱へ捨てる。
書いてある内容はいつも同じ。
確認するのも飽きた。
ただ一言二言、書いてあるだけなんだから。
教室に着く。
今日もまた、いらない日を過ごすのかと思うとため息が出る。
私の席には花が添えられている。
今回はいやに凝っているなと思った。
花瓶に菊の花。
私はそれを当たり前のように、捨てた。
誰とも話さなかった代償。
友達を一人も作らなかった代償。
孤独を手に入れた代償…。
私はいつの間にか皆のストレス発散の場になり、3年が経っていた。
昼休み、私の席に花を置いたであろう連中が私に話しかけて来た。
よりによって姉の話をした。
姉の話をした奴を我知らず殴ってから、私は学校を飛び出した。
家に帰らず、学校にも戻らず、私は日が暮れた家の近くの公園でただ呆然と座っている。
公園は木々に囲まれていて、中央に広い芝生があり、その芝生の真ん中に私は座っている。
さっきまで青かった空が赤くなり、いつの間にか暗くなっていた。
もう3ヶ月経つと今年も終わりか。
不意にそう思った。
あの人との思い出が蘇る。
3年前の年の終わりにいなくなった、あの人との思い出が…。
あの人は今、どこにいるんだろうか?
国内?国外?
どちらにしても家に引きこもってばかりの私では、あの人の居場所なんてわかるわけがない。
見付けられるはずがないんだ。
私が中学三年の時の12月の終わり。
あの人は突然いなくなった。
確かにそういうことは言っていた。
でも冗談だと思っていた。
いなくなるわけがない、と勝手に思い込んでいた。
現実は冷たい。
冷酷だ。
私から全てを奪う。
どれだけ奪えば気が済むのか?
私はその時初めて失う事の重さに気付いた。
だから交流を絶った。
初めから何も知らなければそこに感情は生まれない。
皆のことが嫌いなら失ってもなんとも思わない。
そう思ったから、交流を絶ったんだ。
交流を絶ってから私は変わった。
表情というものを無くし、感情というものを無くし、言葉を捨てた。
しかし姉だけは…、姉だけには…昔と変わらずに接していた。
やはり、いなくなるわけがないという思い込みが私にそうさせていた。
2度の過ち。
思い込みによる、2度目の過ち。
私の勝手な思い込みが私自身を傷つける。
私は…馬鹿だ。
あの人は写真が好きだった。
撮るのも撮られるのも、撮ったものも、好きだった。
いつか世界を撮りたい、と大層な事を言っていた。
私が落ち込んでいる時、あの人は私を撮りに来る。
必ず、私が落ち込んでいるときに撮りに来る。
あの人が夢中になって写真の話をしていると、私もいつの間にか夢中になって話を聞いていた。
あの人はなんだかずるいなって思ってしまう。
夢中にさせて、いつの間にか笑顔にして、それを撮りたかったと言って写真に収める。
いつも笑っていろ、それがあの人の口癖…。
もう、私は、笑えないよ。
笑い方を忘れてしまったから。
星空がやけに綺麗に、輝いて見えた。
十二月
自由に埃が舞う、12月の終わり。
部屋の大掃除は思ったように進まず、志し半ば諦めた。
ふとした思い付きで久々に姉の部屋に入ってみた。
今の所、姉の部屋は片付ける予定はない。
しばらくはこのままにするらしい。
こんなに広かったかな?
感想はそれだけだった。
本当に私は、感情をどこかに置いてきてしまったんだろう。
涙も出ないし、ほとんどなにも考えられなかった。
姉の机は綺麗に整頓されている。
母親が毎日欠かさず掃除をしているので埃は一つも見当たらない。
机の引き出しを一つ一つ開けていく。
ラブレターとか日記があれば面白いのにな、と無理に気持ちを明るくさせて物色していく。
最後から2番目の引き出しに手紙と封筒だけが入っていた。
ようやくおでましか、と思い、手紙を開けた。
『ごめん』
内容はそれだけ。
次に封筒の中身を取り出す。
何十枚という写真と手紙が入っていた。
泣いている私、笑っている私、恥ずかしげな私、姉やあの人の写真も入っていた。
なぜ?なんで?どうしてこんなところに…。
手紙は…今度は一言ではない。
姉から私宛ての手紙だった。
『まず最初に一言、ごめん。
手紙と封筒を預かっていたんだけど、あなたに渡すタイミングを逃してしまった。
私もまさかあの子が本当に出ていくとは思わなくて、気が動転していたし、あなたもそれどころではなかった。
ただの言い訳だね。本当にごめんね。
私はあなたにこの手紙を渡す勇気がなかっただけです。
あの子は前から出ていきたがっていた。
その度にあの子を何度も引き止めた。
あなたは絶対に悲しむから。
あなたにはあの子が必要だったから。
でも結局、あの子は黙って出ていってしまった。
どうかあの子を恨まないで。
あの子にとって最初で最後のわがままなの。
そして、あの子からもらった言葉を大切にして。』
手紙には日付が書いてある。
日付は…6月の…、姉の亡くなる前日だった。
結婚式にでも渡そうと考えていたのだろうか?
今となってはもうわからない。
ただ、わかるのは一つだけあった。
あの人の言葉。
《いつも笑っていろ。》
辛いことも、悲しいことも、笑って乗り越えろってことなの?
無理だよ…私はそんなに強くないんだよ?
写真を手にとる。
様々な感情を持った私がそこにいた。
あの人と姉の写真は笑っているものばかりだった。
なんだかズルイ、と思った。
それに対して私の怒っている写真はなんだか変な顔をしていた。
思わず笑ってしまう。
同時に涙が出てくる。
そして気付いた。
私の感情は、ここに置いてあったんだ。
私は、笑える。
涙も流せる。
ちょっと怒れる。
二人はちゃんとここにいる。
どこかに行ってしまったあの人も、もう話すことは出来ない姉も。
写真という狭い空間にしっかりと存在している。
これからは笑っていけるよ。
写真にそう語ってみる。
二人が望んだこと、望んでいることは、私が落ち込み、絶望することではないから。
あの人が戻って来ても、恥ずかしくないように。
姉に心配かけないように。
前を向いて、しっかりと生きます。
明日は新しい年、そして新しい私の始まりの日だった。
意外にも、クラスの皆は私を簡単に受け入れてくれた。
前にあった家出事件によってクラスの皆は私の傷を知ったらしく、受け入れ体制は出来ていたようだった。
もちろん、私を面白く思わない連中もいる。
でも、もう私は負けない。
どう思われても私は前向きに、明るく頑張る。
そう決めたのだ。
虚しい3年間は嘘だったように思える。
毎日が楽しい。
大学の進学も決まり、高校生活はあと1週間足らずで終わってしまう。
今日も張り切って支度を済ませ、靴を履く。
不意に玄関が開いた。
ドアからでてきた顔は、すごく懐かしかった。
あの人が玄関を開けたのだった。
「兄さん!」
私はそう叫び、兄に抱き着く。
もう出ていってしまわないように、きつく抱きしめた。
End
あとがき、てきな。
初期どころの騒ぎではない。
初めて書いた作品です。
迷った末にここへポイっと投げ込みました。
久しぶりにこの作品を眺めたら、もう恥ずかしいとかそんなレベルを超えていました。
改行などを除いたら、原文そのままです。初期も初期、初めて書いた作品な上に、ろくすぽ小説の書き方を調べていなかったが為、どえらいことになってる。
けっこう言葉遊びを中心にさらさらーっと楽しく書いていた気がします。書いてる間は幸せですね。今では黒歴史にもほどがあるけど。
三月、六月、九月、十二月。
それぞれの始まり方で楽しんでた記憶があります。
『さ』くらがさきはじめた、
『ろく』にいいてんきがおとずれない、
『きゅう』になつのおわりをつげた、
『じゆうに』ほこりがまう、
くだらねぇ! くだらねぇけどやってる側は楽しかったのです!
いま読んでも当時のことをなんとなく思い出せるので、自分にとってはけっこう貴重な作品でもあります。
我が作品たちの原点です。
さて、こんなところまでお読みいただき、本当にありがとうございました! 申し訳ありませんでした!