そこのあなた。
そう、あなたですよ。
誰かを待っているんですか? そんな暗いところに寄り掛っていないで、ちょっと私とお話でもしませんか?
いえね、誰でもいいから聞いてほしいことがあるんですよ。
そうだ、そこの喫茶店のスパゲッティが絶品でね、一度は食べなきゃ損です。私が奢りますから行きましょう。
……どうです、年季が入っていてなかなかいい雰囲気のお店でしょう?
この黒い木製の椅子とテーブルが、また良い味を出してますよね。
入口のそばにあるカウンターもいいですけど、一番奥のこの席が私のお気に入りなんです。
あ、すいませーん。店長、ミートスパゲッティとコーヒーを一つずつお願いします。
……さて、なんの話でしたっけね。
ああ、そう嫌な顔しないで。冗談ですよ。わかってますって。
話というのはですね、そうだな、簡単に言うと変わった話ですね。
つい最近、あなたが寄り掛かっていた壁の中から死体が出てきたんですよ。
あっ、ちょっと待って! 話を最後まで聞いてくださいよ!
ふぅ……。すみません。いきなりこんなこと言ったら逃げたくなりますよね。
でも本当にあの場所で死体が見つかったんですよ。
正確にはあなたが寄り掛かっていた場所のちょうど反対側で私が見つけたんです。
あの場所の反対側はショッピングモールの駐車場になっているんですが、私、なんとなくその壁が気になってしまいまして。
夜になったらこっそり壁を壊しに行ったんです。
ええ、もちろん犯罪ですよ。でも骨だけの死体が出てきたからそれどころじゃなくなったんですよ。
それでですね、その死体はダイヤの指輪を付けていたんですよ。
私、無意識の内にその指輪に触れていましてね、そしたらあることを頼まれたんです。
え? 誰に? そりゃ、骨の人にですよ。
……またそんな嫌な顔しないでくださいよ。全部本当なんですから。
話、戻しますよ? いいですか?
その骨の人に頼まれたことというのは、この指輪をある人に渡してほしいっていうことなんです。
『その人はきっとこの反対側にいるはずだから』と言っていました。
そう、あなたに渡したかったんですよ、彼女は。
どうしたんです? 顔が真っ青ですよ? 何か思い出したんですか? 指輪、受け取ってあげてくださいよ。
……思い出しましたか?
あなたはもう、指輪に触れないということに。
あなたはもう、死んでいるということに。
あなたは彼女をあそこに埋めました。しかし、その行いの罪悪感から、あなたは自殺し、長い間あそこで立ち続けました。誰かが自分を見つけたら、自分の後ろに彼女がいるのを教えたかったんですよね?
でも、時間が経ちすぎたために、あなたは自分が何のために立っているのかだけでなく、自分が死んでいることも忘れてしまった。
彼女から全部聞きました。彼女は全部見ていました。そして彼女は、あなたのことを許すと言っていました。
あなたたち二人になにがあったのかまでは聞いてませんけど、あなたは彼女のそばにいっていいんですよ。
他でもない、彼女が許したんですから。
彼女はあなたに『ありがとう』って言ってましたよ。
今度はこういうことがないように……。
あっ! 指輪、どうしますか?
……いいんですか? じゃあ、大切に取っておきますね!
それでは、また会いましょう。
※
店の一番奥の席にいる、かわいらしいフリルの付いたワンピースを着た女の子は、先程からずっと壁に向かって話し続けていた。
ショートボブの茶色い髪がよく似合う、小顔で目がくりっとしていて、ほどよく焼けた肌などからは好感が持てる。20代前半といったところだろうか? 見た目は悪くないのに――いや、むしろ好みなのだが。
「あの子のことが気になりますか?」
恰幅のよい体形で、鼻の下に少したくわえたヒゲがダンディな店長がカウンター越しに話し掛けてきた。
「あの子は壁と話しているように見えますが、我々には見えない人々と話しているんです」
洗い終わった皿を次々と綺麗に拭き取っては並べていく店長は饒舌をふるってくれた。
「もうかれこれ2年ほどは、ああいう『相談』をしているんです。ふらふらとどこかへ行っては相手を連れて来て相談してあげるんですよ」
店内には、俺と彼女以外に客はいない。それもそうだ。平日の15時に喫茶店へ来るような奴はなかなかいないだろう。
「それでは、また会いましょう」
彼女の優しい声色が店内に静かに響く。
涙をたくわえた目はきらきらと光っていて、柔らかに笑う彼女は天使としか言いようがなかった。
思わず見とれてしまった。
「相談が終わったようですね。あの台詞が終わりの合図になっているんです。さてと、ミートスパゲッティを持って行きますか」
店長の話は途中から耳に入らなくなっていた。
手の平の上で楽しそうに指輪を弄ぶ彼女に心を奪われたから……。
壁と語る女性は、なかなか良いかもしれないな……。
End
あとがき、てきな。
お読みいただき、ありがとうございます。
この作品はかなり初期の頃の作品で、いま読んでみると恥ずかしくて仕方ありません。
恥ずかしさ余って枕をマジ殴りしました。
たしか、二人称小説を書いてみようと思って書き始めたのですが、結局一人称の部分を入れて挫折してしまったという苦い記憶が。
いつかまた、二人称小説には挑戦したいところです。