白いえんぴつが届いた。
海外出張している父親から送られてきた、不思議なえんぴつ。
雪のように白いえんぴつだった。怪しい露店でえんぴつを見つけた父は、一目で気に入ったらしい。『愛する娘へ。お父さんだと思って、大事にしなさい』と、一緒に添えられた手紙には書かれていた。ちょっとばかり胃が重たくなり、「うへぇ」と口にした。
正直、シャーペンがあるから必要ない。ただ、捨ててしまうのもかわいそうなので、お守りとして筆箱に封印してあげた。
使う気は一切なかった。
しかし、翌日から不思議なことが起こった。そのおかげで封印は早々と解かれてしまった。
机の上に筆箱を置いてから眠りについたはずだった。だが、目を覚まして机を見ると、筆箱は開かれ、白いえんぴつが転がっていたのだ。おまけに使っていないノートに『忘れ物の確認をしなさい』と大きく書かれていた。
母のいたずらかと思い、すぐさま本人に尋ねてみたが、知らないと言われた。さらには、自分の部屋の汚さを人のせいにするなと、叱られた。朝からちょっとばかりイラっとした。
部屋に戻ってノートをよーく眺めた。新学期が始まり、まとめ買いしたノートの余りだ。次の学期まで、使う予定はなかった。昨日までは机の上にほったらかしにされていた存在で、間違いはない。
大きく書かれた字はきれいな筆跡だった。こんなに上手く書けていたら、習字で金賞など簡単に取れていただろうに。よって、夢遊病による犯行ではないのも、ほぼ確定だ。
ところで、忘れ物ってなんだ?
胸の内で「忘れ物」と反芻しながらカバンの中を確認した。といっても、学校に教科書とかを置いているから、持ち物といったら数える程度しかない。筆箱やサイフ、ケータイさえあれば、とりあえずは大丈夫。
忘れ物、なくね?
ふと時間割が目についた。ノートの脇に置いてあった、えーよんさいずの紙。
今日の一限目、体育。
そうか、と口にしながら手を叩いた。体操着を忘れていたのだ。これを忘れたら欠席扱いにされてしまう。助かった。
あらためて、ノートとえんぴつを見比べる。ちょっとばかり気味の悪さもおぼえたが、助かったのには違いない。とりあえず、ありがとう。
「ちょっと! いつまで支度してるの! 遅刻するよ!」
母のがなる声がこの部屋まで響いてきた。あわてて制服に着替え、体操着や筆箱をカバンにぶち込み、部屋を後にした。
そして、その日を境に、朝はノートに書かれた『忘れ物の確認をしなさい』を実行した。おかげで忘れ物の心配はなくなった。
また、ノートに書かれるのはそればかりではない。おふろ上がりには『今日も一日ご苦労様』とか、『夜更かしすると、明日が大変だぞ』と、次の日に母がいないことを思い出させるなど、色々と言葉をかけてくれるのだ。一つ一つの言葉が、なんだかやさしかった。
半月ほど過ぎた頃だろうか。白いえんぴつでノートに、『いつもありがとう。ところであなたは誰?』と書いてみた。ノートの一番上に、ちょろっと。
反応が来るとは思っていない。ノートに書きこんでいる犯人など、正直どうでもよかった。白いえんぴつを放り投げ、布団に入ろうと考えたとき、手が意図しない動きを見せた。
『やっぱり、勝手に動く鉛筆はこわいかな?』
ノート一杯ではなく、先に書かれた字に合わせた大きさで、そう記された。
驚きはしたが、こわくはなかった。むしろ、ようやく相手が見えたような気がして、ちょっとばかり嬉しくなった。もう一度、ノートにえんぴつを走らせる。
『そんなことないよ。いつも助かってます』
『よかった、嬉しいよ。今日はもう寝たほうがいい。ノートの上での会話は、いつでもできるから。』
次の日の夜から、ノートでの会話が日課となった。主に愚痴を連ねるだけだったが、それをやさしく切り返してくれる。なんだか幸せだった。
白いえんぴつは、ちょっと目を離すと、いつのまにか削られたばかりの状態になっている。日が経つにつれて、短くなっていった。
父に、もう一本だけ白いえんぴつを送ってくれない? と頼まなくてはならない。ついでに、近況を書いた手紙でも送ってあげれば、二本や三本は送ってくれるかも。それを思い付いたのは、白いえんぴつが届いてから一ヶ月が過ぎた頃だ。
ちょっとばかり浮かれた気分で、手紙の内容をかんがえていた、そんな最中。海外に出張していた父が、亡くなったという報せが届いた。
胸の中に湧いてくる感情は、不思議なものだった。ちょっとばかり悲しいと思うだけで、ほとんどなにも感じなかったのだ。こんなにも冷酷な奴だったのかと、気持ちが沈んだ。
父とは十年ほど、実際に会っていない。だからといって、こんなにも落ち着いていられる人間はいるのだろうか?
そのことをノートに書いてみた。
返事は簡単なものだった。
『大丈夫だよ』
たったそれだけだ。
なにが大丈夫なものか。こんな感情など、異常でしかない。もしかしたら、この白いえんぴつに心を食われているのかもしれない。そう思い立ち、机の上を見なくなった。
ノートが机に開かれていても、それを見えないようにするため、カバンを乗せた。白いえんぴつには触れないようにした。部屋に置いておくのは不安だったが、間接的にでも触ってしまうのがこわかった。だから、放っておいた。
白いえんぴつは机の上から動かなかった。ただ、その長さはしだいに短くなっていたのが見て取れた。早く消えてしまえと、強く願った。
さらに一ヶ月が過ぎた。白いえんぴつは、もう爪の長さほどしかない。普通だったら、ここまで使われることはないだろう。
ふと、ノートを見ること自体は平気なのでは、と思えた。おかしいのは白いえんぴつだけであり、どこにでも売っている普通のノートに触れるのなら、問題はないはずだ。
実際のところ、その存在をすり減らしてまで、何をつづっていたのか? それがちょっとばかり気になっていたからだけど。
おそるおそる、ノートを開く。書くのをやめたページから、最後のページまで。実にノートの半分以上を埋め尽くすのは、六年分の『誰か』の思い出だった。赤ちゃんが生まれてから、小学校に入るまでの思い出だ。
それはどこか見たことのある思い出。いや、もうほとんど忘れてしまったことではあるが、たしかに体験したことのある思い出だった。
この白いえんぴつが、父だというのだろうか?
震える手で白いえんぴつを持つ。ノートに『お父さんなの?』と書いた。緊張のせいで、ずいぶんと拙い字だった。
白いえんぴつは、勝手に動く。
『ごめんな。バレたら、その日に消えてしまうことになっていたんだ。』
私の指先に、父がいた。十年ぶりに会う。何を話したらいいのか、わからなかった。
『お父さんが死んだことを知ったお前が、元気でいられるように、「大丈夫だよ」と書いたのは逆効果だったな。』
父の字は美しかった。きれいで、なめらか。こんな字を書ける人だったとは知らなかった。
『でも、わずかな時間でもお前と筆談できたのは、嬉しかった。』
「もう、書かないで! お父さん消えちゃうよ!」
叫んだ。叫ぶしか、なかった。
それでも、白いえんぴつは動いた。
『お父さんは明日で消えてしまう。お前にも正体がバレた。どのみち消える運命だ。ただ、このまま消えるのは寂しいから、お前との六年間を書いてみた。どうだったかな? つまらなかったら、ごめんな。』
指先で、『うれしかった』と書いた。ミミズが這ったような、糸くずのような、きたない字だった。
白いえんぴつは、流麗に動く。指先に暖かさを感じた。
『愛する娘へ。このノートをお父さんだと思って、大事にしてください』
そう書ききったあと、白いえんぴつは消えた。
残ったのは一冊のノートだけだ。
どこにでも売っているノートだが、これしかない。
父とのわずかな思い出が詰まった、ただ一つだけのノート。
End
あとがき、てきな。
お読みいただき、ありがとうございます。
この作品は私自身、気に入っている作品であり、思入れ深い作品です。
恥ずかしながら、執筆中に泣きました。親馬鹿作品でもあります。
ちなみに、乙一先生の「ボクの賢いパンツくん」に感銘を受けた結果、この作品が生まれました。
ファンというには生温いですが、乙一先生、大好きです!!!